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弦楽四重奏曲第2番 イ短調 Op.13は、フェリックス・メンデルスゾーンが1827年に作曲した弦楽四重奏曲。作曲時メンデルスゾーンは18歳であり、番号こそ2番となっているが彼が初めて作曲した弦楽四重奏曲となった。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲から多くの着想を得ている。 == 概要 == この曲の作曲時、メンデルスゾーンはまだ10代の若者だったが、既に室内楽曲の分野では経験豊富な作曲家だった。この時までに彼は『弦楽五重奏曲第1番』Op.18、『弦楽八重奏曲』Op.20そして『ピアノ四重奏曲』などを完成させていたからである。オペラ『』の上演まではまだ数ヶ月の時間があった。このオペラは失敗に終わることになる。 メンデルゾーンが弦楽四重奏曲を作曲したのは、ベートーヴェンの死の数ヵ月後のことだった。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲はあまり芳しくない評価を受けており、作曲家であるルイ・シュポーアの「わけのわからない、取り返しのつかない恐怖」という評には、メンデルスゾーンの父を含め多くの者が同意していた。しかしながら、メンデルスゾーンはそれらの作品の虜となっていた。彼はベートーヴェンの弦楽四重奏曲を分析し、そこから自らの作品に多くの引用を散りばめた。 この曲全体を統一する動機には、メンデルスゾーンが数ヶ月前に作曲していたピアノ伴奏によるバリトンのための歌曲『Ist es wahr?』(Op.9 No.1)からの引用が行われている。この曲はヨハン・グスタフ・ドロイゾン(Johann Gustav Droyson)の詩に基づくもので「きみがいつも木陰を散策する私を待っているというのは本当か」といった内容である。メンデルスゾーンは弦楽四重奏曲の楽譜の表紙にこの歌曲の題を書き入れており、これはベートーヴェンが『弦楽四重奏曲第16番』の終楽章に「Muss es sein?」(かくあらぬか)と書き入れたことを思い起こさせる。しかし内容的には内省的で実存主義的なベートーヴェンの楽曲とは異なり、メンデルスゾーンのそれは豊かなロマン性を有している。研究者のルーシー・ミラー(Lucy Miller)は「(略)ベートーヴェン後期の作曲技法に大きく依存するこの四重奏曲は、古典派の形式感とロマン派の表現を橋渡しするものである。」と記している〔Miller, Lucy (2006) ''Adams to Zemlinsky'' Concert Artists Guild ISBN 1-892862-3, p. 168〕。 この曲のように大部分が単調で書かれ、性格的にも暗く、開始楽章と終楽章が共に単調であるというのは、当時の弦楽四重奏曲の慣習からは遠い冒険的な試みであった。総譜は1827年にブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から出版され、ヘンレ社からも原典版が刊行されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弦楽四重奏曲第2番 (メンデルスゾーン)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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